花ズッキーニ

花ズッキーニをモチーフにした柄です。

ズッキーニの花言葉には、「ほのかな恋」という意味があります

ズッキーニは、見た目はきゅうりのようですが「ペポかぼちゃ」の変種です。原産地は北アメリカ南部~中南米ではないかと考えられています。16世紀頃にヨーロッパに伝わり、19世紀後半にイタリアで改良されたものの中からズッキーニが誕生したと言われています。
別名「つるなしカボチャ」といわれ、分枝が発達することはなく、親づるがどんどん生長します。整枝といって、ズッキーニの実の下の葉を処理したり、支柱などでぐらつく株元を支えながら管理しながら栽培します。

植民活動をしていた16世紀頃、ヨーロッパに持ち込まれました。細長い形状は19世紀後半イタリアで改良されました。ズッキーニの名前はイタリア語で「小さなかぼちゃ」という意味です。
食用にしているのは未成熟の果実であり、成熟すると黄色くなり1メートルまで成長します。
ズッキーニは日本ではまだ歴史が浅く、普及し始めたのは1980年頃からですが、家庭菜園ではお洒落で人気の野菜のひとつです。花がついたままの未熟な果実も食用にするため、エディブルフラワーとしての一面もあります。

ズッキーニの花の特徴
ズッキーニの花は濃い黄色い5枚の花びらで、サイズは6〜8センチ程度です。瓜系の花の形でカボチャの花によく似ています。
このズッキーニの花は「花ズッキーニ」という名で初夏に市場に出回ることがあります。通常のズッキーニよりさらに未熟で、花のついた状態で収穫をしたものです(雌花)。
黄色い花の内部にチーズなど具材を詰めて揚げたり炒めたりして特有の風味を楽しめる食用花です。雄花も雌花同様、美味しく食べられます。

ズッキーニは雄花と雌花があり、実が付くのは雌花です。レストランなどで花ズッキーニ料理として使われるのは主に小さな実が付いた雌花が多いですが、花だけの雄花も同じように食べることができます。

ズッキーニの花は早朝に開花し、日が昇るとしぼんでしまいます。なので、収穫は夜明け過ぎの早朝に行わなければなりません。また、雄花と雌花共に咲いていないと受粉せず、実が付かないので、実を育てる場合は両方をある程度残したままにしておく必要があります。

花ズッキーニは非常に繊細で、室温ではすぐに萎んでだめになってしまいます。収穫後保存する場合は、花の中にキッチンペーパーなどを丸めて詰め、乾燥しないように袋などに入れて4度前後の冷蔵庫に入れておきます。そうすれば収穫後3~4日程いい状態で保存することができます。

収穫した花は、中に雌しべ、雄しべがあり、それらは食べても美味しくないので、花びらをそっと開いて、中心にあるそれを切り取っておきます。一般的には花の中に詰め物をして調理します。フリットなどの揚げ物の他、フライパンでソテーしたり、蒸し物にすることもできます。花の部分もクセはなく、ズッキーニの風味が楽しめます。

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https://www.suntory.co.jp/flower/homegardens/howto/lineup/zucchini.html

花ズッキーニの下処理方法とレシピ集

ズッキーニ

花付きズッキーニ 静岡産


https://greensnap.jp/article/8635
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五月雨縞

五月雨をイメージした縞柄です。
「五月雨」は、陰暦の5月、現在の梅雨の長雨を意味します。
継続的にだらだらと長く続くことの比喩でもあります。

「五月雨」の意味は?
「五月雨」は「さみだれ」と読み、意味について辞書では次のように説明されています。

さ‐みだれ【五‐月‐雨】
《「さ」は五月(さつき)などの「さ」、「みだれ」は水垂(みだれ)か》
1 陰暦5月ごろに降りつづく長雨。梅雨。つゆ。さつきあめ。《季 夏》「―を集めて早し最上川/芭蕉」
2 断続的にいつまでもだらだらと続くことのたとえ。「―式」「―戦術」
引用:『デジタル大辞泉』(小学館)

「五月雨」は、梅雨の長雨を意味する言葉です。現在の梅雨シーズンは一般的に6月ですが、旧暦では5月ごろが梅雨にあたります。そのため、「五月雨」は、現在の「5月の雨」をいうものではありません。

俳句では夏の季語として知られています。

五月雨と書くからには、5月に降る雨かと思うかもしれませんが、この5月とは旧暦のこと。すなわち、五月雨は現代で言えば6月ごろに降る雨のことを指し、梅雨の雨という意味です。

参考にさせていただきました。

https://forbesjapan.com/articles/detail/74938

「五月雨」は5月の雨じゃない? 意味と「五月雨式」の使い方を解説

五月雨 さみだれ


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青葉

青葉の柄です。いろいろな青(青と緑)を使ってみました。

新緑が目に鮮やかな爽やかな季節、5月。
二十四節気の第7番目、立夏の頃、太陽の光をたっぷり浴びて、葉は緑を濃くしていきます。
そのような緑色の葉を、日本では青葉といいます。
日本語には元々、色相を表現する言葉は「赤」「青」しかなく、「緑」という言葉が出てきたのは平安時代から鎌倉時代あたりといわれています(「白」「黒」もありましたがこれは明度を表現する言葉でした)。虹の七色で言うと、赤・橙色・黄色・紫が「赤」、緑色・青・藍色が「青」だったようです。緑色を青と表現するのは、その名残だといわれています。

太陽の光エネルギーを使って光合成を行うのは、植物の細胞の中にある葉緑体です。葉緑体には、緑色のクロロフィル(赤や青の光を吸収)と黄色のカロチノイド(クロロフィルが吸収しきれない波長の光を吸収)。葉緑体が発達してクロロフィルが増えるにつれ、葉はその緑を濃くしていきます。夏が来ると緑が深まるのはそのためです。

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立夏(りっか)は、二十四節気の第7番目であり、暦上で「夏の始まり」を指す節目です。毎年5月5日〜5月20日頃がこの期間にあたり、新緑が鮮やかになり、晴天の青空と強い陽気を感じる、1年で最も過ごしやすい季節の一つとされています。

葉っぱの色は、太陽を吸収するための色素の色なのです。緑色はクロロフィル。黄色はカロチノイド。葉っぱのなかの葉緑体に含まれているこれらの色素によって、色みが変化していくのですね。

地球上にふんだんに降り注ぐ、太陽の光…まぶしい光を浴びると、私たち人間も、全身にエネルギーが満ちるように感じます。葉っぱは、実際にその光のエネルギーを、クロロフィルやカロチノイドなどの色素で吸収して、有機物(でんぷんなど)を生産しています。「光合成」ですね! その有機物を食べる昆虫や動物、有機物を分解するカビやキノコなど、生態系のすべての生きものの生活は、この葉っぱの働きなくしては成り立たないのでした。
森の中で見上げると、枝や葉の間からわずかに見える空。地上では、太陽の光はつねに上方から届きます。木々の足元で生きている背の低い植物にとっては「すきまから見える空の広さが全天に対してどれくらいの割合か」というのがとっても重要…その場所でやっていけるかどうかの目安となるのだそうです。光を得るために競争したりと、葉っぱも苦労が多いようです。

葉がまだ開ききっていなかったりして葉緑体が未発達のときは、クロロフィルよりもカロチノイドの色が目立ちます。だから春先の葉っぱは、黄色っぽい色をしています。葉緑体がだんだん発達し、太陽の光をたっぷり浴びてクロロフィルが増えるにつれ、葉はその緑を濃くしていきます。夏が来ると緑が深まるというのは、決して気のせいではなかったのですね。
と、いうことは…人間に降り注ぐ太陽の光も、すでにたっぷりと!? 私たちも紫外線対策に本気を出す季節がやってきました。

参考にさせていただきました。

https://tenki.jp/suppl/usagida/2018/05/06/28081.html

目に青葉   ~ 立夏 ~


https://japanknowledge.com/articles/kkotoba/25.html

目に青葉・・・緑を青と呼ぶのはどうして?

緑なのに青?日本語の不思議な色の呼び方

【目には青葉山ほととぎす初鰹】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!


https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=1465
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ハクモクレン

ハクモクレン。早春の空に舞う優雅な白い花をイメージした柄です。

モクレンは、英語ではマグノリア。モクレン科モクレン属の総称で、1億年近く前にはすでに地球上に存在していたといわれています。
恐竜の時代も生き抜いたその生命力から、世界中で「忍耐」や「持続」、「高潔」の象徴とされています。

モクレンというと、学術的にはシモクレン(紫色の花のモクレン)を指すのだそうで、ハクモクレン(白い花のモクレン)とは区別されるそうです。
シモクレンの樹高は5m前後の中高木なのに対し、ハクモクレンは10m以上になる高木で、ハクモクレンの方がシモクレンより早く春先に開花し、あっという間に散ってしまいます。
春の訪れとともに、青空を背景に、見上げるような高さの位置に咲き誇る大輪の白い花はなんとも優雅で高潔さを感じます。

モクレンはツボミを見ると、尖った先がすべて北を向いて、方向指標植物(コンパス・プラント)と呼ばれます。これは、良く光が当たる南側が成長して膨らむためで、花の向きがそろっている姿にも美しさを感じます。

参考にさせていただきました。

https://weathernews.jp/s/topics/202203/180265/
https://www.hana300.com/hakumo.html
https://www.yomeishu.co.jp/genkigenki/crudem/200331/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%B3
https://www.forest-akita.jp/data/2017-jumoku/08-haku/haku.html

ハクモクレンの花言葉|花の特徴、モクレンとコブシとの違い

ハクモクレン


https://www.shuminoengei.jp/m-pc/a-page_p_detail/target_plant_code-173
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マグノリア(モクレン)は、1億年近く前から地球上に存在する非常に古い歴史を持つ植物で、モクレン科モクレン属の総称です。恐竜の時代から生き抜いてきたその生命力から、世界中で「忍耐」や「持続」、「高潔」の象徴とされています。

コブシが咲く頃、公園や庭などでボリュームのある大きな白花を咲かせる。花は、レモンやライムのような芳香を放つ。花が終わる頃に葉が出る。中国原産の高木で、公園樹や庭木として植えられる。よく似た紫色の花は、モクレン。日本産のコブシと似ているが、花弁の幅が広く大輪で、枝ぶりもハクモクレンの方が太い。

方向指標植物(コンパス・プラント)・・・早春のツボミを見ると、尖った先が一方向になびいているように見える。これは、ツボミが大きくなる過程で、良く光が当たる南側が特に生長して膨らむことから、先端は一様に北を向く。このため、北の方向を示す目印になる。同様に、モクレンやコブシ、タムシバも、早春のツボミはほとんどが北を向く。だから、早春の山では、コブシやタムシバの花は磁石代わりになる木として知られている。

春を象徴する花といえば梅や桜が挙げられますが、モクレンやコブシも春に欠かせない花です。

モクレンには紫の花を咲かせる種類もありますが、白い花を咲かせるハクモクレン(白木蓮)とコブシ(辛夷)は、見分けがつかないほど似ています。
春が近づく今の時季に、ほぼ同時に花を咲かせます。
コブシとモクレンはどちらもモクレン科モクレン属
モクレンは、モクレン科モクレン属の落葉広葉樹です。モクレンといえば紫色のシモクレン(紫木蓮)と白色のハクモクレン(白木蓮)が一般的ではないでしょうか。
どちらも中国原産ですが、シモクレンとハクモクレンは花の色以外にも大きく異なります。シモクレンは樹高4~5mほどの中高木で、根元から数本の茎が立ち上がる“株立ち”になりやすい木です。
一方のハクモクレンは樹高20mにも達します。どちらも日本に古くから渡来しており、寺院などに植栽されてきました」(小山さん)

「コブシもモクレン科モクレン属の落葉広葉樹です。別名ヤマアララギ、コブシハジカミ、種まき桜などと呼ばれます。日本や韓国、済州島に自生している樹木です。
東北地方などでは、コブシの開花が農作業を開始する目安とされる地域もあります」

ハクモクレンの花言葉は「高潔な心」だそうです。
コブシの花言葉は「友情」「歓迎」。この時期にぴったりですね。

ハクモクレン

ハクモクレンは、別名ハクレン、ハクレンゲとも呼ばれている中国原産のモクレン科の落葉高木。街路樹、公園、庭園、寺院、庭木など身近な場所にも植栽されています。
冬のハクモクレンが、ふわふわとした柔らかい銀色の毛に包まれているのは、寒さからつぼみを守るためだと考えられています。樹高は10~15mくらいになり、3月~4月に枝先に白い美しい大輪の花を咲かせます。9枚に見える花弁は、6枚の花弁と3枚の萼片(がくへん)で構成されています。
ハクモクレンは、見上げるような高さの位置で大きな白い花が開花し、その大輪の花は遠くからでも目を引きます。春の青空の中で、優雅に咲き誇る白い花は、桜とはまた違った美しさで人々を魅了します。

ハクモクレンの学名マグノリアは、ハクモクレン、シモクレン、コブシをはじめとした、たくさんの種類の総称です。マグノリアという名で販売されている場合もあるので、花の色、樹高や開花時期などを調べてから購入することをおすすめします。

シモクレン

モクレンというと紫色のモクレンをさすのが一般的ですが、両者を呼び分ける際は、白い花をハクモクレン、紫色の花をシモクレンと表現します。
シモクレンの樹高は5m前後ですが、ハクモクレンは高木で、10m以上になる木です。開花時期は、ハクモクレンの方がシモクレンより若干早く開花します。

蕾は鼻の病に使われる生薬「辛夷(しんい)」に

「ハクモクレン」は春を告げる香り高い大きな花ですが、花は短命です。春を待ちわびて咲き始めた花も、風が強い日や、薄霜の日は、白い花弁が褐色になって落下します。樹下一面に広がっている褐色の花びらは、自然の厳しさと無常を象徴しているようにも見えます。
モクレンは、学術的には「シモクレン(モクレンゲ)」を指します。ハクモクレンもモクレンも、花だけ見るとほとんど同じように見えますが、性状や花期が違います。ハクモクレンは樹高が5~10mで太い幹を立てますが、モクレンは3m程度で叢生(そうせい)する性質があります。花期はハクモクレンがモクレンより1カ月ほど早く、香りは白い花が強く、花弁は紫の花のほうが大きいです。花の中央部には上方に雌芯、周囲に雄芯が多数あり、7月頃に赤色の果実が実ります。蕾は毛で覆われ、先端は北方に向かって曲がる傾向があります。これは、芽の発育が旺盛な時、南側から陽光に照らされるため、南側の成長が早く、花芽の先端が北に向いてしまうためです。

薬用には、開花直前の蕾を採取し、軸を除いた後、風で乾燥させます。生薬名は「辛夷(しんい)」です。中国最古の漢方の書物『神農本草経』(250年~280年頃)の上品に収載されている生薬で、「辛雉」「木筆」「迎春」などとも呼ばれています。蓄膿症や鼻炎、鼻づまりなど鼻の病気一般や、頭痛、解熱、鎮咳などに用いられています。
花言葉は「自然の愛」「荘厳」「恩恵」です。

ハクモクレンやシモクレン、コブシなどモクレン属の植物は方向指標植物(コンパス・プラント)と呼ばれます。早春のツボミを見ると、尖った先がすべて北を向いていて、山中などでは磁石の針のように方位を知るのに役立ちます。これはツボミが大きくなる過程で、良く光が当たる南側が生長して膨らむためです。

菱餅羽根

3月3日の桃の節句(ひな祭り)に、娘の無病息災や成長を願って雛人形とともに供えられる菱形の餅、菱餅(ひしもち)を矢羽根仕立ての柄にしました。
桃・白・緑の3色が一般的で、桃の花、雪、大地を表し、春の訪れと健康、厄除けを意味します。

別名「雛 (ひな) の餅

■色の意味

赤:「魔除け」「先祖を尊ぶ心」
紅(赤)は桃の花、
解毒作用がある山梔子の実で赤味を付けて健康を祝うためであり、桃の花を表している。
色紅(代用品に赤梅酢でも可)

白:「子孫繁栄」「長寿」「清浄」
白は純白の雪、
この白い色が清浄を表し、残雪を模している。また、菱の実を入れて血圧低下の効果を得るという意味もある。

緑:「厄除け」「健康」
緑は新緑や大地をイメージしています。
初めは母子草(ハハコグサ)の草餅であったが、「母子草をつく」と連想され、代わりに、増血効果がある蓬を使った。春先に芽吹く蓬の新芽によって穢れを祓い、萌える若草を喩えた。
よもぎ(代用品として青のりでも可)

■米は穀霊(こくれい)が宿る神聖な食べ物

日本の行事にはお餅がつきもの。お正月には鏡餅や雑煮、端午の節句には柏餅、祝い事には餅を配るなどたくさんの例があります。
米は穀霊(こくれい)が宿る神聖な食べ物とされ、米をついて作るお餅には、そのパワーが凝縮されていると考えられていました。

■菱餅の菱形には健康と長寿の願いが込められている

菱餅の菱形には健康と長寿の願いが込められている
菱餅が菱形なのは、宮中で正月に食べる「菱はなびら餅」を模しているから、菱の実を食べて千年も生きたという仙人の話にちなんで菱の実の形を模しているからなど、諸説あります。しかし、いずれにしても、健康で長生きできるようにとの願いが込められています。

菱餅が現在のかたちになったのは江戸時代からです。もともとのかたちは定かではありません。しかし三重県では菱餅のことを「三角餅」と呼び、静岡県の遠江地方では3月3日に三角形のお餅を子どもから親に贈る風習が残っています。これらを踏まえて、もとは三角形のお餅だったのではないかと考えられています。

■最初は緑だった

中国では、ひな祭りを行う「上巳の節」に母子草(ははこぐさ)を入れた餅を食べる習慣があり、それが日本に伝わったとされています。母子草とは春の七草のひとつで、御形(ごぎょう)とも呼ばれます。日本では縁起がよくないとれ、邪気を払うヨモギが「菱餅」の緑色に使われるようになりました。

菱餅といえば緑・白・赤の3色が定番ですが、日本に伝わった頃は緑一色でした。前述の通り、中国から伝来したのは母子草の草餅でしたが、日本では「母と子をつく」のは縁起が悪いと考え、蓬(よもぎ)を用いるようになりました。蓬餅には、春先に芽吹く蓬の力で厄を払い、元気でいられるようにとの願いが込められています。

その後、江戸時代に菱の実を用いた白い餅を加えて2色になりました。菱の実は繁殖力が強いので子孫が繁栄するようにという願いが込められ、また白い色で清浄が表されています。さらに、明治時代にくちなしで染めた赤い餅を加えて魔除けを表すようになり、現在のような3色の菱餅となりました。また、蓬には増血、菱には血圧低下、くちなしには解毒の作用があるとされ、ここも健康や長寿につながる縁起物だとされるゆえんかもしれません。

上から桃色・白色・緑色の順で重ねられているものは、「桃の花が咲き、雪の下から新緑が芽吹きだしている」という早春のようすを表現しているそうです。

3色のひなあられは、一般的に桃色・白色・緑色です。
ひなあられは菱餅を食べやすいように細かく砕いたものだといわれています。


スィーツなら抹茶といちごで作りました。⁡
サンドイッチならハムとキュウリ
お寿司ならほうれん草と桜でんぶ

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【プロが解説】ひな祭りに飾る「菱餅」の由来・意味とは? かつては緑色だった!?


https://precious.jp/articles/-/17057
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%B1%E9%A4%85

菱餅はなぜ3色?ひなあられはどうして食べる?ひな祭りに欠かせない食べ物の由来や歴史


https://www.kurashiru.com/lists/card/17005d6a-884c-4bcd-a624-a0400544ba91

柊菱

鋭い葉が特徴のヒイラギ。
立春の節分には、ヒイラギに、臭いイワシの頭を刺して玄関先に飾られます。
これは、とがったもの、強い香りのあるものが厄を払うという日本古来の風習に基づくそうです。

ヒイラギといえばクリスマスの飾りも思い浮かべますが、
クリスマス用に使われるのはモチノキ科の西洋ヒイラギ。春に開花し、冬に赤い実をつけるのに対し、
ヒイラギは冬に白い花をつけ、夏に青黒い実をつけます。

ヒイラギの葉をダイヤ柄状にアレンジした柄です。
ヒイラギの花の実の色でカラーリングしてみました。

■クリスマスの飾りとは実は別物

「木」偏に「冬」で「柊(ヒイラギ)」と書くように、ヒイラギは冬を代表する植物です。

ただし、クリスマスの飾り用に使われるのはモチノキ科の「ヒイラギモチ」。昭和時代に輸入された植物で、5月に花期を迎え、秋から冬にかけて赤い実を結実します。一方、日本特産の「ヒイラギ」はモクセイ科で、11月頃に花期を迎え、春に黒い実が熟します。

■ヒイラギと西洋ヒイラギの違い

名前が似ているヒイラギと西洋ヒイラギ(セイヨウヒイラギ)は、植物学上は異なる科に属する別の植物です。

ヒイラギはモクセイ科モクセイ属、西洋ヒイラギはモチノキ科モチノキ属に属します。

見分けるポイントは葉のつき方です。ヒイラギは対生(向かい合ってつく)、西洋ヒイラギは互生(互い違いにつく)です。

また、花の咲く時期も異なり、ヒイラギは11月~12月、西洋ヒイラギは4月~5月に開花します。

最大の違いは、西洋ヒイラギは冬に赤い実をつけること。
ヒイラギは冬に白い花をつけ、翌夏に青黒い実をつけます。また、ヒイラギの葉は対生ですが、セイヨウヒイラギは互生です。

■立春の節分に飾る柊鰯(ひいらぎいわし)

立春の節分に、ヒイラギの枝とイワシの頭は、柊鰯として「魔除けや厄除け」の意味をこめて玄関先に飾られます。
鬼が嫌う「イワシの匂い」と「とげとげした葉先が鋭いヒイラギ」を飾り、鬼が家へ入ってこないようにとの願いを込めて飾られたのが由来です。

■魔除けとしての由来

葉の鋭いトゲと花の強い香りが邪気を寄せつけないと信じられてきたためです。
この考え方は、「とがったもの、強い香りのあるものが厄を払う」という日本古来の風習に基づきます。
特に有名なのが、節分の風習「柊鰯」で、焼いたイワシの頭をヒイラギの枝に刺したものです。
鬼が嫌いなイワシのにおいと、ヒイラギのとがった葉を組み合わせて飾ることで、魔よけの意味合いが含まれています。

■雌雄異株
ヒイラギの花は11月から12月はじめの初冬に咲く。葉腋に集まって、直径5mmほどの白い花を咲かせる。雌雄異株であり、雄花は2本のおしべが目立ち、長い花糸が突出し、葯が目立ち、めしべは頭が出る程度。雌花は、めしべが発達して突出するとのこと。花冠は4裂し、反り返る。良い香りがある。

■老木は葉が丸くなる

老木になると葉の棘は次第に少なくなり、無くなって全縁となってしまう。
 幼木では棘があるが成長すると棘が無くなる植物は多い。幼木の時期は樹高が低く、草食動物などに食べられてしまう危険性が高く、棘で武装するが、成長して樹高が高くなると棘を持つ必要がなくなるからである。棘を作るためにはそれなりのエネルギー投資が必要なのであろう。

ヒイラギはモクセイ科モクセイ属の常緑高木で、一年中葉が茂っています。冬にキンモクセイの花を白くしたような花を咲かせます。
ヒイラギが晩秋~初冬にかけて花をつけることから、「木」と「冬」を組み合わせて「柊」になったと言われています。また、ヒイラギの葉のトゲに触ると痛いことから、ひりひり痛むことを意味する「疼ぐ(ひいらぐ)」が語源とも言われています。

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https://www.hana300.com/hiirag.html
https://www.yomeishu.co.jp/genkigenki/crudem/191128/

【ヒイラギの育て方】魔除けの木を元気に育てるコツとは?

ヒイラギの花言葉|花や葉の特徴、名前と花言葉の由来


https://www1.ous.ac.jp/garden/hada/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/sympetalae/oleaceae/hiiragi/hiiragi.htm

ヒイラギ


http://kobenohana.ec-net.jp/26syokuha/hiiragi1202.html
https://www.kkr.mlit.go.jp/rokko/rokko/vegetation/sp/183/index.html

ホースシュー

2026年の干支、午年にちなんで、
幸せを呼ぶラッキーモチーフ、馬の蹄につける蹄鉄の柄です。

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ほんの数十年前まで、馬は社会の基盤だった。人々は馬車で移動し、商人は馬で商品を運び、農民は馬の力で土地を耕し、兵士は馬に乗って戦った。歴史のなかで馬が家畜化され、人間の「足」となったのはいつだろうか?

野生の馬は約400万年前に北米で生まれ、ベーリング陸橋を渡ってアジア、ヨーロッパ、アフリカへと広がった。人類にとっては、最初は肉を得るための獲物だった。

1990年代に馬の家畜化についての科学的探究が始まった。西アジアのステップ地帯にある5000年前以前のヤムナ文化の遺跡から出土した馬の歯にハミの痕が見られたことから、この時期に馬が家畜されたとの「クルガン仮説」が提唱された。馬に乗ったヤムナ人がユーラシア一帯に進出し、クルガンと呼ばれる墳丘墓と、今日の言語のもととなったインド・ヨーロッパ語をもたらしたとの見方だ。

だがこの馬の骨の放射性炭素年代測定を実施したところ、ヤムナ文化のずっと後、3000年前以降のものとわかった。それでもクルガン仮説は消えず、考古学者らは西部ステップにあるヤムナ文化と同時代の遺跡、ボタイから出土した馬の歯の特徴から、馬に付ける頭絡の使用が示唆されると主張した。

その後、動物考古学の進歩によって状況が変わり始めた。まず北米の氷河期の遺跡で見つかった数十頭の野生馬の歯にボタイの馬と同じ特徴が見られ、頭絡の影響ではなく自然の個体差だと判明した。さらにボタイの馬のゲノムが解析され、そもそも家畜馬の祖先ではなく現存する別種の野生馬だったとわかった。

その後、ユーラシア各地で見つかった馬の骨のゲノム解析から、家畜馬の祖先は紀元前2200年ごろに黒海北岸のステップに出現したことが判明し、クルガン仮説はほぼ否定された。

初期の馬の家畜化を示すの証拠の1つは、カザフスタンにある紀元前2000年ごろの遺跡に二輪戦車とともに埋葬されていた馬の骨だ。

近年ペスト菌のDNA解析から、ヨーロッパを壊滅させた初期株は中央アジアの砂漠やステップで出現し、14世紀初頭に馬による広域移動ルートやシルクロードに沿って広がったことが見えてきた。

家畜馬はその後アフリカのサヘル・サバンナ地域、北米のグレートプレーンズ、南米のパンパ、さらにオーストララシアや太平洋の島国にまで到達し、新たな文化を形作った。

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馬の祖先が誕生したのが、およそ5500万年前。
人が馬を家畜化したのが、およそ6000年前。
日本に馬が渡来したのが、5世紀はじめ頃。
京都の上賀茂神社で加茂競馬が行われたのが、1093年。
イギリスで、サラブレッドと近代競馬が誕生したのが、1700年代前半頃。
横浜の根岸で、洋式競馬(近代競馬)がはじまったのが、1860年代頃。
そして、これからも人と馬の物語は続いていく・・・。

「身につけていると幸せになれる」といわれる”ラッキーモチーフ”。
四つ葉のクローバーや月など数々のモチーフがありますが、馬の蹄につける”蹄鉄”もそのひとつ。
蹄鉄(ていてつ)は主に馬の蹄に付ける金具のことを言い、馬蹄(ばてい)は馬の蹄を守るために装着するものの総称です。

そもそも野生の馬に蹄鉄は必要ありません。野生の厳しい環境下で栄養価の高い自然の餌で生活することで蹄が頑丈に発達するためです。
一方、家畜として飼われる馬は、多様性の少ない餌で栄養が十分にとれず、限定された環境で育つため、蹄が発達しにくく傷にも弱くなってしまいます。また馬車や積み荷などで馬が受ける負荷が増すことも、より蹄を磨耗させてしまうため、蹄の形に沿った蹄鉄を装着するようになりました。

ラッキーアイテムの所以は諸説ある
人と馬の歴史は深く、蹄鉄も中世以降のヨーロッパを中心に広がりました。
あわせて馬蹄はヨーロッパでは伝統的なお守りとされていて、魔除けや富の象徴などの意味が込められていますが、その起源は諸説あります。

ヨーロパ民族ケルト人が、ダーナ親族を鉄器と騎馬で打ち倒したことから、邪鬼など異界の住人は鉄=蹄鉄を嫌うとされた
イングランドの鍛冶屋が悪魔の足に蹄鉄を打ち付け、嫌がる悪魔に扉に蹄鉄が留められているときは絶対中に入らないという約束を取り付けた
村人が権力者の馬の蹄鉄を修理して大きな収入を得た
蹄鉄を蹄に打ち付ける釘の数は7つ=ラッキーセブン
また、日本では「馬は人間を踏まない」という性質から「安全運転」のお守りとする風習が生まれました。

人類の歴史は馬と切り離せない。生産手段や交通手段となり、権力の象徴や軍事力にもなり、また友でもあった。

人間の歴史は、「ウマ以前の時代」と「ウマ以後の時代」に分けられると言っても過言ではありません。人間は馬を保有したことによって、人間の歴史の構造を根底から変えるダイナミックな変化をもたらしました。ウマから速い移動速度を得た人間は、世界を探検し、遠方との取引が可能になりました。そして同時に、言葉や文化、病原菌でさえも、かつてないスピードで広まりました。
人間がウマを家畜化できるまでには多くの時間がかかりましたが、家畜化後はほんの数世紀のうちに、世界の各地にまで伝播しました。現代は内燃機関等に取って代わられて、ほとんどウマが登場する機会は減りましたが、「ウマ以後の時代」は20世紀初頭まで続き、人間にとって長らくウマは日常世界になくてはならない存在であり、世界はウマを中心に回っていました。
4000年以上もの間、人間が手懐け征服したウマは、人間にとって最も必要であり、かつ高貴な存在でした。家畜ウマ、荷馬、農耕馬、軍馬、競走馬……。人間の求めによって、ウマの活躍の仕方が変わって行きます。本書は、魅力に溢れるウマの歴史をたどっていくことで、私たちの社会がどのようなものだったのか、私たちの文化や歴史をも解き明かしていく一冊です。

 「人とコミュニケーションができる家畜」として馬は長年人の役に立ち親しまれてきました。
いまから約5千年前、それまで食料として狩猟の対象であった馬(ウマ科ウマ属)の家畜化が始まりました。人が馬の速く走る能力や持久力に着目し輸送・移動の手段として利用するようになったからです。
  その結果、人は大量の物質を遠くまで運搬することができるようになりました。さらに荒れ地を開拓し、広い農地を耕作し、馬は人類の文明発展に大きく貢献してきたわけです。馬の種類も農耕に適した品種、軍事用の騎乗馬など用途ごとに200種類を超える改良がなされました。
  しかし自動車などの文明の利器の発達と引き換えに馬の需要は急速に減少し、また農業の機械化により農耕馬の活躍する場も少なくなってきました。たとえば、「ドサンコ」として知られる北海道和種馬(在来種)は、明治末に9万頭を超えていたといわれていましたが、現在では1400頭余飼育されているにすぎません。世界的にみても娯楽用の競走馬(サラブレッド種)こそ残されていますが、馬品種の数は減少の一途です。

馬は元来「丈夫で力持ち」であり、さらに人による改良により、多様な用途に適した遺伝子をもっています。馬をいかに利用するか、その可能性は実は私たちの想像を超える大きなものなのです。ところで、動物はひとたび絶滅してしまうと、その品種を復元するのは非常に困難です。馬の多様な品種を保存するのは人の大事な役目といえるでしょう。

一つの例として、ここ数年注目されているのがホース・トレッキング(人馬と自然とのふれあい)やホース・セラピー(障害者の機能回復や情緒教育)です。ホース・トレッキングはコンパニオン性のある種類の馬を利用しています。人のストレスを解消し癒し効果が格別です。ホース・セラピーは癒しに加えて、揺れる馬上で馬にしがみつこうと体のいろいろな筋肉を使うことがダメージを負った機能の回復に効果があるのです。

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人と馬の関わりの歴史は大変長く、人類史が始まった5千年前頃には農耕や食用として馬の家畜化が開始したという記録があります。
その後、発展と共に輸送や軍事、娯楽など、様々な目的で馬が使われるようになりました。
紀元前500年には黒海周辺の遊牧民族が乗馬のための道具を発明し、そこから馬を活用した産業が一気に栄えていくことになります。
日本におきましても弥生時代の末期には、日常生活に馬を使っていたという記述が残っており、その歴史の古さを伺うことができます。
時の経過と共に、世界各地で馬術や乗馬が発展していきます。
それまで娯楽やスポーツとしましては馬車を使った競技が主流でしたが、17世紀頃にイギリスでサラブレッドが出現したことで、現代の競馬のスタイルが形成されました。
その後、科学の発展と共に、世界の多くの地域では馬を農業などに使う機会は減り、乗馬やスポーツを行うパートナーとして新たな役割を担っています。

車や電車などの交通機関や便利な機械がなかった時代、馬は経済動物として農業や移動手段のひとつとして大活躍していました。

現代におきましては、馬には新たな活躍の場があり私達と関わっています。例えば乗馬や馬術、トレッキングなどのスポーツのパートナーとして活躍しています。

他に障害者の機能回復などに役立つ「ホース・セラピー」があります。これは動物と触れ合うことで得られる癒し効果により、精神的な疾患の改善や治療を行うために取り入れられている方法のひとつです。

このホース・セラピーには実際に乗馬することも含まれており、人の筋肉をほどよく刺激することができるため、ダメージを負っている器官や筋肉の回復効果も期待されています。

このように人との関わりが深く、歴史の長い馬だからこそ得られるリラックス効果や機能回復効果が高く、有効な治療法として確立されつつあります。

馬はにおいに敏感で、においの強い植物や木の皮を食べません。

この性質に注目し、アヤメやシラカバなど景観保全のために馬を森林保護者として起用する研究を行っている学者もいます。科学が発展した現代おきまして、馬は新たな分野で人と関わることを期待されています。
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なんのためにつける?蹄鉄の役割

馬蹄・蹄鉄の意味と由来|幸運を呼ぶラッキーアイテム


https://kotobank.jp/word/%E8%B9%84%E9%89%84-100286
https://l-co-shop.jp/blogs/blog/magazine-motif

馬と日本人とのかかわり


https://equia.jp/trivia/post-6467.html
https://biome.co.jp/biome_blog_191/
https://www.nodai.ac.jp/web_journal/adventure/vol23.html
https://xn--pck1d9b158oimai14jyq3e.net/knowledge/history.html
https://www.agriworld.or.jp/agriworld1/umabunka/
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOSG270GD0X21C25A2000000/
https://www.iwakipumps.jp/blog/world/13/
https://www.touken-world.jp/tips/40362/
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/news/topics/files/20180615topics_sensitive_horse.pdf
https://www.elmeaure-toyota.com/

【疲れている人は、お馬さんに癒されよう】

五芒星

一筆書きで描ける星、五芒星の柄です。

互いに交差する5本の線分で構成され、五線星とも呼ばれます。
等しい5本の線分で描くと、中心に正五角形が現れ、黄金比を数多く含む美しい図形の代表格とされていますが、
あえてラフに描いてみました。

五芒星(ごぼうせい、英語:pentagram)とは、5つの角を持つ星型多角形のうち、互いに交差する長さの等しい5本の線分で構成され、中心に五角形が現れる図形である。ペンタグラム、五線星とも呼ばれ、幾何学上では星型五角形ともいう。
正五角形に内接し、対称的である。一筆書きが可能である。
古くから黄金比で構成されている図形は美しいとされており、単純ながらも黄金比を数多く含む五芒星は美しい図形の代表格とされた。

歴史的に確認されているもっとも古い五芒星の用法は、紀元前3000年頃のメソポタミアの書物である。シュメール人はこれをUB(ウブ)と呼んだ。さらに下向き五芒星を「角・小さな空間・穴」などの意味を表す絵文字とする。エジプトでは子宮を表させていたことから性的意味合いがあるとも言われている。バビロニアでは、図形の各側面に前後左右と上の各方向を割り当て、それぞれ木星・水星・火星・土星、そして上に地母神イシュタルの現れとされた金星を対応させた。五芒星に五惑星を対応させる考え方は、後のヨーロッパにも見受けられる。

また、火・水・風・土の四大元素に霊を加えた5つのエレメントにもそれぞれの頂点が対応させられ、それは現在でも魔法などのシンボリズムに使われている。

陰陽道と安倍晴明の桔梗印
五芒星は、陰陽道では魔除けの呪符として伝えられている。印にこめられたその意味は、陰陽道の基本概念となった陰陽五行説、木・火・土・金・水の5つの元素の働きの相克を表したものであり、五芒星はあらゆる魔除けの呪符として重宝された。

日本の平安時代の陰陽師、安倍晴明は五行の象徴として、五芒星の紋を用いた。「安倍晴明判(あべのせいめいばん)」や「晴明九字(せいめいくじ)」とも言い、キキョウの花を図案化した桔梗紋の変形として、「晴明桔梗(せいめいききょう)」とも言う。家紋として現在使用されているものの多くは、桔梗紋の清明桔梗と見られ、現在も晴明神社の神紋などに見ることができる(セーマンドーマンも参照)。

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五芒星は古代から現代にかけて美徳、幸運、幸福の象徴として多くの文化圏で使われてきた。
イスラム文化圏では五芒星は「ソロモンの封印」という名で知られている。五つの頂点は、慈愛、真実、平和、自由、正義といった美徳を表していて、現在のモロッコの国旗にも用いられている。

五芒星の星の頂点を線分で繋ぐことで正五角形を描くことができ、その線分をさらに外に延長すると上下反転しているもう一つの五芒星を描くことができる。これは内側へ向けても無限に繰り返すことができる。

二つの底角のそれぞれが頂角の2倍になっている二等辺三角形は頂角が36度で、黄金三角形と呼ばれる。
五芒星の隣接している2本の辺とそのの向かい側にある五角形の辺は頂角36度の黄金三角形

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%8A%92%E6%98%9F
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784621308103

山葡萄唐草

山葡萄は「古事記」にも登場する、日本に古来から自生する野生のブドウです。

一般的なぶどう品種に比べて、種が大きく、粒は小さく1cm程度ですが、抗酸化物質ポリフェノールは約8倍、鉄分、カルシウム、カリウム、食物繊維は3~7倍、βカロチン、ビタミンEは10倍、疲労回復を助けるといわれるリンゴ酸等の有機酸も豊富に含み、昔から人間にも動物にも愛されてきたパワーフードです。

そんな山葡萄を使用したワインは、深く濃い赤紫の色味とシャープな酸味、タンニンもしっかりとした濃い味わいのものが多く、濃厚な肉料理などに合わせると、絶妙なマッチングになるそうです。

そんな山葡萄を唐草仕立てにしてみました。山葡萄のワイン、飲んでみたいです。

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山葡萄(やまぶどう/ヤマブドウ)は、日本古来のパワーフード。そんな山葡萄から作られた「山葡萄ワイン」は、一般的なワインよりも栄養素が豊富と言われています。美容やアンチエイジングに敏感な女性から注目されている山葡萄ワインの特徴や味わいなどを紹介します。

皮が厚く可食部が少ないため、搾汁率が低く果汁は希少なものです。一粒の大きさは8mm~1cm、収穫時期は、9月中旬~下旬。秋空の下に輝く黒紫の粒はまるで山の宝石です。

この山葡萄で作られたワインは、高い酸味・濃厚な果実味・穏やかなタンニンを含み、
人間の健康に欠かせない栄養素が豊富に含まれています

山ぶどうは、古くは「古事記」にもその名前が記されている日本古来の在来種です。
山ぶどう(日本の山ぶどう)は当初は栽培目的のための品種ではなく、野山に自生する野生のぶどうでした。

日本がルーツと言われているもののほか、中央アジアより渡ってきたと思われるものなど、特に寒冷な地域、北海道から本州の山間部に多く自生しています。

山ぶどうはその栄養価の高い果実として、ツキノワグマやヒグマが自生している山ぶどうを食べて冬眠に入ると言われています。

山ぶどうは一般的なぶどう品種に比べて、種は大きいものの、粒が小さく一センチ程度と小ぶりなのが特徴です。
ですので、収穫されたぶどう一粒から僅かな果汁しか採れません。ぶどうは通常2年ほどで栽培開始から収穫となりますが、山ぶどうは実に3倍で、6年を要します。
しかも山ぶどうには雄雌があるため、自家受粉ができないことがあるため果実を実らせるにはとても苦労します。
そこで、山ぶどうの特徴を生かしつつ安定生産が可能で、日本の風土に合う上質なワイン専用種の開発を目指し、日本葡萄愛好会創始者の故・澤登晴雄氏(1916~2001年85歳没)によって「山ぶどう」交配品種が育成されました。

ぶどう自体が元々ポリフェノールが多く含まれる果実ですが、山ぶどうの濃い赤紫色は、抗酸化物質ポリフェノールが通常のぶどうの約8倍含まれていると言われています。中でも強い抗酸化力でアンチエイジング効果を期待できるプロシアニジン量が多く、活性酸素の生成を抑え血液をサラサラにし、血圧をさげるとも言われています。
さらに通常のぶどうに比べ鉄分、カルシウム、カリウム、食物繊維は3~7倍、βカロチン、ビタミンEは10倍、疲労回復を助けるといわれるリンゴ酸等の有機酸を豊富に含みます。人間の健康に欠かせない栄養素が豊富に含まれています

山葡萄ワインはその高い酸味・濃厚な果実味・穏やかなタンニンによって、さまざまな料理と絶妙に調和します。ワインが料理の味を引き立て、料理がワインの個性を際立たせる「美味しい化学反応」を楽しみましょう!

https://tanoshiiosake.jp/5270
https://www.yamabudou.co.jp/grape/
https://kosaka-7falls-winery.com/charm_of_yamabudou/
https://shop.sweetsvillage.com/blogs/knowledge/grape-48

山葡萄(やまぶどう)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A6
https://sakohonten.co.jp/about_yamanokibudo.html

塩むすび

塩むすびの柄です。
おむすびの三角の形状は、神が宿るとされる山のカタチを真似しており、それを食することで健康を保とうとしたといわれます。
美味しい塩で作った塩むすびはシンプルにして至高の味です。

ーおにぎりとおむすびの違い
ご飯を握って作る「握り飯」という呼び方もあります。いずれも一般的に使われる言葉なのに、なぜ異なる呼び方をするのでしょうか。

おむすびの語源のひとつには、日本の歴史書「古事記」に登場する農業の神様「神産巣日神(かみむすびのかみ)」に由来するという説があります。神産巣日神が稲に宿ると信じられていたことから、「おむすび」という名前がついたといわれます。ちなみに、産巣日(むすび)の産巣(むす)には生み出すという意味があり、息子や娘という言葉もこの産巣(むす)が語源になっています。

一方、古事記などに「握飯(にぎりいい)」という言葉が記されていることから、おにぎりの語源はご飯を握る動作からきているという説があります。また、「鬼を切る」という言葉に響きが似ていることから魔除けの効果があると考えられていたようで、鬼退治に握り飯を投げつけるといった民話もあります。

神様に由来すると考えられていた「おむすび」は、お供え物として用いられました。三角の形状は、神が宿るとされる山のカタチを真似しており、それを口にすることで健康を保とうとしたといわれます。実際に、鋭い三角形をした日本最古のおむすびの化石が、石川県で見つかっています。こうしたことから、三角形に握られているものを「おむすび」の定義とする説がある一方で、「おにぎり」には特に定められたカタチはないようです。

また、形状は地域によっても異なり、関東では三角形、関西では俵型がポピュラーだともいわれます。関西で俵型が多いのは、味付け海苔を巻くことが多く、海苔が巻きやすいという理由によるようです。

-結(ゆい):村内近隣で組をつくり、労働力を交換するならわし。また、その労働力となる人。

日本には、稲作農業が始まった古代から、米を中心とする社会ができました。米栽培の共同労働、農村共同体、水の管理から生まれた結(ゆい)という共同体などが、日本の社会の基礎ともなっています。米は日本人の心の支えとなり、さらに支配する力を持つものにもなっていきました。

-お米が私たちの主食になったのは、第2次世界大戦以降

お米が私たちの主食になったのは、第2次世界大戦以降で、歴史としては短いのです。それ以前は、麦・ひえ・あわなどの雑穀(ざっこく)に、お米2~3割を混ぜたご飯を食べていました。他には、そば・いも・とうもろこし・大根・豆類などが、主な食糧となっていたのです。

-お米は保存性が高い

お米は長期保存がききます。-20℃なら数百年もつといわれています。屋根裏から200年前の籾が出てきたこともあるそうです。
低温で貯蔵すると味が落ちることもなく、低温倉庫では15℃以下で保管しています。
家庭の米びつでは、鷹の爪(赤トウガラシ)を布袋に入れてお米と一緒に入れておくと虫も発生しません。

-陸稲栽培

陸稲(りくとう・おかぼ)は、畑で栽培されるイネの一種で、水田を必要とせず乾燥した土地でも育つように適応した品種です。水稲と比べて乾燥に強く、主に水資源が限られる地域や山間部で栽培されています。
陸稲は収穫量や味が水稲より劣ることがありますが、水田を作る必要がないため、育成が容易です。
陸稲は畑での栽培に特化しており、水管理は自然降雨に頼る場合が多い傾向があります。

陸稲は、植物分類上では水稲と同じで、水に対する適応性から、水稲との分化が進んだと考えられています。
●長年にわたって畑栽培されてきたことで、耐干性、いもち病抵抗性、直播適応性など、水稲にはない栽培上の優れた形質を持っています。
●これらの形質は、水稲品種の育成にも役立てられ、在来品種の「戦捷」は、いもち病圃場抵抗性育種に貢献しました。
畑作物としての陸稲は、野菜等の連作障害を防止する効果が大きく、稲わらは有機物源として利用できます。
陸稲の欠点は、乾燥に弱いこと、雑草がはえないようにするのが大変なこと、何年も同じ畑で米作りをしていると、病気が出やすくなり収量が減ったりすることなどがあげられます。

ー塩の色
塩の本当の色は白ではなく無色透明で、白く見えるのは光を乱反射しているためです。

岩塩には、真っ白いものからピンク色のピンクソルト、黒色のブラックソルト、透明のクリスタルソルトなどさまざまな色のバリエーションがあり、色によって風味も異なります。

ピンク色の岩塩には銅や鉄の成分が含まれていて、黒い岩塩には硫黄成分が含まれています。料理の味にも影響するので、岩塩を選ぶ際には色や成分にも注目しましょう。

黒い塩
ハワイアンブラックソルトはハワイなどで見られる塩で、その名のとおり真っ黒です。黒いのは、活性炭が混ざっているためで、デトックス効果があると言われています。ヒマラヤ岩塩にも赤黒い色のものがあります。

褐色の塩
日本の自然食品の店などで見るベージュのような褐色の塩は、身体によさそうなイメージですね。褐色の海藻や、鉄鍋などの色がうつって褐色になります。

灰色の塩
フランス・ブルターニュ半島のゲランド一帯でとれる塩は、ミネラルを含んだ粘土質の池底の影響で、質感がしっとりとして灰色です。

ピンクの塩
レストランなどでたまに出てくる美しいピンクの塩。たいていはヒマラヤ岩塩です。鉄分の含有量で、色の濃さが決まります。

【海水】
海水を原料にした塩。海水から塩にする工程により違いがあります。

天然塩(自然塩・天日塩)
海水を天日や煮詰めなど昔ながらの方法でつくられた塩は、産地によって味も様々。自然の栄養素やミネラルが豊富なため、旨みやコク、甘みを感じられるまろやまな味わいの塩になります。
食品表示には、工程『天日』『平釜』『逆浸透膜』などと書かれています。
精製塩(食塩)
海水を電気分解(化学反応)して塩化ナトリウムを99%以上に精製した塩。大量生産ができ安価なため外食産業や加工食品に広く使われています。
食品表示には、工程『イオン膜』『イオン交換膜』『立釜』などとあります。
「精製塩」は不純物を取る過程でミネラルも取り除いてしまいます。食塩相当量の高い精製塩は控えたほうがいいでしょう。「天然塩」に多く含まれるミネラルは塩化ナトリウムの吸収を穏やかにしてくれるため、むしろ適度に摂ったほうが良い塩といわれます。

【岩塩】
原料が岩塩。むかし海だった場所が隆起などで海水が閉じ込められ、何らかの形で塩の成分が結晶化したもの。 地中の有機物も入り込むため様々な色や味がありますが、硬く結晶化した岩塩はほぼナトリウムのため、実はミネラルが少ない塩です。食品表示に食塩相当量90%以上とあればミネラルは10%程度でしょう。世界の塩の生産量の約3分の2が採掘された岩塩。日本では岩塩は採れません。

【湖塩】
原料が湖塩。イスラエルの死海やボリビアのウユニ湖など、かつて海だった場所の水が蒸発し、塩分濃度が高くなったところ(塩湖)で採掘、製造された塩です。日本ではあまり流通していません。

– 海水塩は魚介類と、岩塩は肉料理と相性がよい

– 本当においしい「塩むすび(おにぎり)」

米はやさしくとぐ、2時間浸水、とにかく早炊き、手塩水をたっぷりと、強く握らずカタチを整えるくらいで……。たくさんのポイントやコツを分かりやすく解説。お気に入りの塩やのりの紹介もあるのでお見逃しなく!

ー稲はなぜ黄金色に輝くのか?

稲の葉には、光合成で作られた、お米に栄養を渡す物質があり、役割を終えると抜けて黄色くなるそう。加えて稲にはざらざらとしたガラス質の物質が付着しており、それが輝くことで黄金色に見えるという。

出穂(しゅっすい)後は、稲の葉や茎は全力で籾に栄養分を送り込みます。籾が登熟して栄養分の溜め込みを完了すると、使命を果たして枯れ、美しい黄金色になります。しかし、稲の葉や茎が、寒さや病害虫などが原因で枯れた場合は、赤みを帯びています。

稲には、プラント・オパール(植物珪酸体)と呼ばれるガラス質細胞が存在し、それが、日の光を受けると輝くと言われています。

ー「活き青」って何?-玄米に混ざっている緑色のお米、青米とは

玄米でご購入される方は、ご購入した玄米に少し緑っぽいお米が入っているのを目にしたことがあると思います。
これは、通称「青米」と呼ばれ、収穫のタイミングによって緑色になるお米です。
青米というと、イコール未成熟、ダメなお米だと思われがちでありますが
この青米は「活き青」とも呼ばれており、栄養、香り、味共に素晴らしい要素を持っており、多少入っている方が美味しいと言われています。

紀元後3世紀には卑弥呼(ひみこ)を女王とする倭国(わこく)、すなわち邪馬台国(やまたいこく)が誕生しています。このころ、稲作栽培の農業社会もほぼ完成されていたと考えられます。日本には、稲作農業が始まった古代から、米を中心とする社会ができました。米栽培の共同労働、農村共同体、水の管理から生まれた結(ゆい)という共同体などが、日本の社会の基礎ともなっています。米は日本人の心の支えとなり、さらに支配する力を持つものにもなっていきました。
また、米は他のどの栽培植物よりも高収量だったので、米を持つものは富(とみ)と権力をとても早く持てたのです。後には、米の大量生産により、社会的にますます持つ者と持たない者の差が開き、その間の戦いが起きていきました。米の争奮戦は、そのまま日本の歴史となり、農地(領土)のうばい合いを繰り返す時代が続いたのです。このように、米は生活と経済の基本でした。武士が天下を支配できたのは、武力と政策により米をつくる土地と耕作者を囲い込めたからです。しかし、江戸時代になると幕府米や藩米を大量に換金する必要性からこれらを扱う米商人があらわれ、米相場を決めて日本経済を支配したのです。以後、日本の文化は町人文化にうつっていきました。

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https://cocreco.kodansha.co.jp/cocreco/general/education/2a42W
https://www.kamedaseika.co.jp/cs/knowledge/knowledgeRice/okomeHistory.html
https://www.kubota.co.jp/kubotatanbo/history/
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E7%A8%B2
https://www.jeinou.com/benri/rice/2008/08/130918.html

乾田直播とは?水稲直播の違いやメリット・デメリットを紹介!失敗事例や今後の動き・読み方も解説


https://agri.mynavi.jp/2019_04_08_66317/
https://www.sirogohan.com/recipe/siomusubi/

https://kiseki-salt.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=1987224&sort=p
https://www.shiojigyo.com/siohyakka/select/quality/color.html
https://oceans-nadia.com/cooking_basics/8
https://www.tokyosalt.co.jp/pages/92

「活き青」って何?-玄米に混ざっている緑色のお米、青米とは


https://risonare.com/nasu/journal/rice-06/